『マリオカート8』で感じたこと


たかがゲーム、されどゲーム、ゲームをしながら、主体的に生きれていないこと悶々としながら、まぁいいや自分のことを考えよう、となったのですが、そこからふとやっているゲーム、『マリオカート8』のことに偶然思考が動いたので、そのことを書きます。

 

思い出すと、前に弟がこんなことを言っていた。

 

「人生って『ドラクエ』じゃなくて、『ぷよぷよ』みたいなもんやねんな。自分一人が主人公で、敵を倒していって、レベルアップしてゴールを目指すんじゃなくて、自分が頑張ってる時間、相手(他人)も頑張ってるねん。なんやったら他人の頑張り、アクションによって、自分のフィールドにおじゃまぷよが降ってくるかもしれへんねんな。そういう風に人生を考えたほうがいい」

 

なるほど、と思った。こういう視点というか、こういう発想、話には、なかなか至れない。弟の話の面白さはもちろん、みんな(?)ロールプレイングゲームのように、自分が主人公(もちろんそれぞれ人生の主人公は自分なのだが)で、成長物語のように歩みがちだが、弟の視点はかなり相対的というか、独特な視点をしている。

 

今回マリオカートをしていてある意味似たようなものを感じた。『マリオカート8』そのものに対しての感想は別だが、人生とはある意味こういうものかもしれない。というか、一種こういうものである気がする。

 

みんな一斉にスタートする。走り方が違う。ランダムに与えられたアイテムがある。それをどう使うか。使わない選択肢もある。相手を邪魔したり、されたりする。人生を勝負という形から見るならば、1位、1番を目指す。他人よりもいい状態を目指す。

 

個人的には200ccをやっているのだが、これには本当に走り方のバリエーションが多くなると思うし、戦略的で頭を使うことが必要だと思う。人生を考える。コインの枚数によって走り方が違ってくる。コインの枚数(お金が少ない時)は、まず金(コイン)を取りに行く走り方が重要になるし、コインが10枚ある状態では、そもそもの定常スピードが違うから、コースから外れることも多い。コイン(金)がある状態では、自分の人生(コース)からはみ出さないように、自分の人生のコントロール(テクニック)がかなり重要になってくる。コースをはみ出さずに綺麗に滑っていくには、ドリフトやブレーキが必要になってくるのである。

 

赤コウラに対してもよくできている。赤コウラを使っていてふと思ったのは、赤コウラを投げていいのは赤コウラを投げられてもいい奴だけ。ということである。現実社会でもそうで、相手を邪魔したり傷つけたり、要は銃を相手に向けて撃って良いヤツというのは撃たれても良いヤツだけ、という話なのである。早い話がそうである。かのハムラビ法典には、国の法律としてこう定められていた。「目には目を、歯には歯を」。人に何かやる奴は、お前はやられる覚悟はもちろんあるねんな?という、簡単な話なのである。

 

そんなこんなで、上とは別に、ここからは『マリオカート8』そのものに対しての感想を書いていこうと思う。

 

はっきりいうと、コインは反対である。それどころか、アイテムすら反対である。

 

なぜかというと、俺は昔のマリオカートのように、純粋な「走り」だけで勝負したい

。ゲームとして。テクニックだけでやりたい。差はキャラクターの個性だけでいい。(キャラクターの体重など)スマブラだってそう、「アイテムなし」。これが理想。

あるのは個体差だけ。その中でいかにその個性とテクニックで勝ち抜くのか、これが理想。

 

「じゃあ、でも、昔からアイテムはあるやん。それは使ってるやん」という問いかけに対しては、それはもう確かに初代マリオカートからその癖がついている。その世界で生きているからそういうもんだろう、ぐらいに置いておくこともできるかもしれないが、実は俺は極力アイテムを使ってない。使わない走り方をしている。バナナを積極的に配置して(中にはいやらしいところに配置することもできる)相手の邪魔をすることは、ほとんどない。というか今ではっきりいってない。ゼロである。(厳密にいうと昔はあった。相手が通りそうなところにわざとバナナを置いていた)ほとんど厳密に「走り」だけでクリアするようにしている。たぶん俺はそういう純粋性をこだわる節がある。スマブラでも、ぷよぷよでもそうである。だから『ぷよぷよSUN』でも、わざと太陽を消してプレイする。理想は「ぷよぷよ2」。余計な小細工一切なし。

 

現実世界では、生まれからして差がついていたり、持っていたり持っていなかったりするものだと思うが、殊ゲームにおいては、「こいつにはこのアイテムにはあるけど、お前にはない」とか、「その代わりにお前にはこれがあるから、これをどう使う?」とか「与えられたもので戦うしかない」とか、そんな消極的な話に持っていきたくないのである。正々堂々、同じ条件、同じ場で戦いたいのである。

 

たぶん、オンラインになってくると話は変わってくるのだろう。混沌状態だし、上の人生となぞらえると、そういうものだからだ。人生は相手も必死に走っている。みんな1番を目指してあらゆる努力、工作をし、あらゆる思惑が交錯する。他人を邪魔し、邪魔され、1番を目指す。人生とは弟の言った通り、ドラクエのように独走状態ではない。自分の身の回りは従者や敵ではなく、相手にもまた、自分と同じ、主体性があるのである。

 

そういう混とん状態に、俺は向いていないのかもしれない。あるいは、勝負から避けているのかもしれない。おそらくそうなのだろう。俺はオンライン対戦はしない。

 

そんなことをふと考えた。

 

終わり。