『チェンソーマン』5話感想

 

自分のTwitterのコピペもありながら、チェンソーマン5話を観て感じたことを書いていこうと思う。

 

デンジがパワー胸を揉んで「自分が望んでいたものがいざ手に入ると、自分にとっては、そう大したことがなかった。これからも、そうかもしれない」といった虚無、「三島由紀夫が言ってたことマンマやん…。これに対してマキマはどう答えるんやろ?」って期待したら肉体的感覚に訴えたショック療法やった。

 

つまり「あなたが揉んだ胸は所詮愛しても居ない、ただ「胸を揉みたい」という欲望から叶えられたものに過ぎない。そうではなく、本当の体のスキンシップとは、相手への理解があれば、あなたが経験したよりももっと深い何かが、まだ知らないものがあるのではないか」という問題提出だったのかもしれない。

 

「何か」、とは、快楽でもよいし、感覚でもよい。実際それを甘噛みや、唇を触らせ、胸を揉ませることによって、実感として理解させようとしたのかもしれない。そのあとデンジはあまりの出来事に脳の認識が追い付かず、衝撃により痺れ、動揺するが、ここではこれ以上(デンジがどう思ったか)は語られない。

 

ストーリー上、先に進める必要があるからだと思う。しかしこういった「物事が成就した時に起こる妙な空虚感、虚無感」があるよね、っていうのは、作者の顔、性格が見えるところではないだろうか。 そうして、相手が咄嗟の出来事により正常な判断能力が出来ない(半ば酩酊)状態時に「10のアクマを倒して来てくれ」と交渉を持ちかけるのはかなりマキマさんが頭のキレるやり手だと思った。部下に、「物事を達成したからといって満足できるのか?」といった、空虚感を抱かれたまま仕事に当たられては困るからだ。そんなことより目標に邁進していただきたい。深く物事を考えたりしてもらっては困る。

 

しかも、「達成したらなんでもお願い事を一つ叶えてあげる」という報酬までぶら下げてきた。相手の思考判断能力がしっかりとしていないタイミングに。かなりやり手で交渉上手だなと思った。

 

チェンソーマン5話より教訓

 

「"お願い"事をするときは、相手の思考能力を奪ってからやれ」

「物事を頼む時は、断られない状況を作り出すこと」

 

 

以下、追記