近況

山中温泉 菊の湯』に入ってきました。薬味臭が凄く、イメージで言えば『千と千尋の神隠し』で千尋が河の神をもてなす時に大量に窯爺のところから送ってもらった薬湯みたいな感じでした。

 

 

まぁ温泉は夏に入るより冬に入った方がいいと思いますが。しかし山深い所にあるある意味「特別」な湯であることは間違いないと思いました。昔の人は凄い。

 

 

その後腹の立つこともありましたが、考え事もできたので、まぁ五分五分…と言いたい。しかし腹が立つことは腹が立つので、まぁ、うん。切り替え方を学んだりした方がいいのかも。

 

しかし、殻を破りたいのかもしれない。

 

 

雑記

 

岡田監督が猛抗議したらしい。これぐらい言えるようになりたい。俺は結構岡田監督は好きやな。この人は頭が良いし、多分部下からも信用があるタイプじゃないかと思う。ていうか、ある程度慕われたりせんかったらリーグで首位なんか立たれへんし。

www.youtube.com

 

他人に対してこれぐらい言えるようになりたい。

 

 

新庄はやっぱりそういう点ではまだまだ「監督」にはなれないタイプだと思う。一プレーヤーとしてはスター性がもう溢れんばかりにそれは人にはない物があるけど。

 

 

・火の玉で思うところは、本当に火の玉はある。おじいちゃんおばあちゃんが続けて亡くなって、田舎に誰も住まなくなってから親父が赤外センサー付き(?)のカメラを家の中と外につけてて(遠隔操作でスマホでも見れる。動物とか体温のあるものとかが近づいたときとかに自動で作動するタイプのやつ)、見せてもらったけど、もうそれはバッチリ映ってる。

 

噂のない所にはなんとやらで、昔の人の話には昔なりになんか根拠あったんやろうなぁ(『蟲師』とか好き)、四十九日までとかが多い。夜中3時、4時、4時半、5時とか。バッチリ、もうなんか「意志」があるんちゃうか?ってぐらい、ふわーっと玄関から通り過ぎたりする。フツーに浮いてるし、フツーにばっちり「火の玉」(青白い感じ)が映ってる。もう家族みんな「あー。これは…。」ってなった。もう明らかすぎて「ホンマの話やったんやなぁ」ぐらいにしかならんかった。ちょっと一瞬だけとか、「えー!これは微妙じゃない!?」って具合じゃなくて、普通に「通りますよ」って感じで映ってて隠す気ゼロ。特におばあちゃんの時で、湯舟で亡くなった(老衰)から、本人死んだこと気付いてなかったんちゃうかと思う。

 

・やさしさは、傲慢に近いものがある。

 

 

文学傑作選。自分を形作っている物。

夏目漱石『こころ』
カミュ『異邦人』
安部公房全作品。『変形の記録』『R62号の発明』『けものたちは故郷をめざす』他。
 
江戸川乱歩『芋虫』
 
島崎藤村『破戒』
 
ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』
 
・クラーク『幼年期の終わり
 
 
 
楽しみのSF
 

フランス語の比較表現について

 

フランス語の比較表現では、英語の時とは違い少し変わった表現方法がある。

 

英語では

 

「彼は私より背が高い。」というとき

He is taller than I. といい。

「彼は私より背が低い」というときは

He is shorter than I.という。もちろんnotなどを使って表現の仕方は様々あるが、フランス語では「tallerを使って「背が高い」「背が低い」を言い表せる。

 

El est plus grande que moi.で、「彼は私よりも背が高い」であるが、

El est moins grande que moi.で「彼は私よりも背が低い」ともいえる。

形容詞は同じ「高い=grande」を使っているが、フランス語には「優等比較」と「劣等比較」があり、「plus」と「moins」がそれを表している。「moins」は英語では「not more」や「less」に相当する。

 

 

・フランス語の部分冠詞について

 

フランス語には「定冠詞(the)」や「不定冠詞(a)」の他に、「部分冠詞」という、3つ目の冠詞が存在する。英語でいうところの「some」に相当するという解説を読んでなるほどと思った。部分冠詞は「vin」(=ワイン)などの「不可算名詞」につく。

 

今覚えているのはこれぐらい。終わり。

メモ:語学で面白いなぁと思ったこと 

語学を触っていて、面白なぁと過去に思ったことを書いていきます(書いている今この時は少しテンションが低い)

 

☆ロシア人の名前には、父称がある。

 

例えばツルゲーネフは、イワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフ。これは「ツルゲーネフ家の、セルゲイの息子、イワン」。レフ・ニコラエヴィチ・トルストイであれば「トルストイ家のニコライの息子、レフ」という。

 

スペイン語は、名詞を修飾するとき、名詞の前からでも、後ろからでも言える。

 

形容詞が、名詞の前から修飾するときと、後ろから修飾するときがある。 英語は前から修飾。フランス語は基本名詞の後ろから修飾するが、「新しい」や「美しい」など、よく使われるものは前から修飾(英語と同じ)。スペイン語は所有形容詞(私の~)も、名詞の前からでも後ろからでも修飾できる。(英語でいうと、my penでも、pen my、でもOK。しかし、my penのmyと、pen myのmyは、それぞれ名詞の性・数は勿論、前後の別により別々に変化する。例)mu pen、pen mioなど。

 

・フランス語にはアクセントがない。 アクセントがあるのもあるらしい(?)が、実はフランス人はアクセントを気にしていない。(フランス語検定にもアクセント問題はない。英検、独検西検は初めがアクセント問題。)

 

・ドイツ語の敬称と親称(duとsie(どちらも「あなた」))の使い分けは、上下関係ではなく相互関係で決まる。

 

日本語→上下関係

ドイツ語→相互関係

 

例えば、日本語で、先生は生徒に「君、廊下に立っとけ」と言えるが、生徒から先生に「君、もう少しゆっくり喋って」と言うと、大問題になる。

その背景は、日本語が、上下関係により言葉遣いが決定される言語だからである。だが、ドイツ語はそうではない。一方が「sie」というと、もう一方も「sie」と返す。これがドイツ語である。(どのタイミングでduになるのかは曖昧。)

 

スペイン語は主語をよく省略する。

 

英語では必ず「I」や「You」など主語から始まるが、スペイン語では殆ど主語を言わない。これは日本語と似ている。なぜなら、スペイン語は動詞の形で、主語がわかるからである。「読む」という動詞は、英語では「read」であり、これが三単現の時に「reads」と「s」が付くことにより、もし、例えば「(  )reads book」という問題があれば、()内には、「I」や「You」といった一人称、二人称が入らないことはわかる。その見分けはつくが、()に、sheが入るのか、heが入るのかはわからない。

 

スペイン語も、三人称の変化は同じなのだが、一人称、二人称でもそれぞれ変化が違う。そのため、「読む」=「leer」という語の変化でも「leo libre」と言えば、主語は「私」。つまり1人称であることがわかるので、わざわざ「yo(私)」とは言わない。しかしフランス語でも動詞はこのように変化するのに、フランス語は主語を省略できない。

 

なぜなのかと思って調べてみたら、以下の記事が出てきた。

 

 

language.moni0623.net

 

 

 

スペイン語は1~3人称、その複数形でそれぞれ動詞の変化が違う(つまり6種類ある)のに対し、フランス語では動詞によっては1人称(私)と3人称(彼は、彼女は)で変化が同じ動詞があるからそう。

 

☆中国語では発音の仕方で意味が変わる。

 

中国語では同じ「ma」でも発音の仕方が様々あり、これを四声という。

 

「妈」は「mā」と発音して、「母」の意味。

「麻」は「má」と発音して、「麻」の意味。

「马」は「mǎ」と発音して、「馬」の意味。

「骂」は「mà」と発音して、「罵る」の意味。

 

日本語でも関西弁と標準語で発音が違っていたりすると、「雲」と「蜘蛛」で言い方が違ったり(でもそこまで違っていなかったり)するが、中国語では「一つの音」に「四つの発音の仕方」がある。でも5つちゃうんかなこれ。

 

ja.wikiversity.org

 

 

こんなものかな。

ドイツ語覚書 前置詞


ドイツ語の前置詞について

 

ドイツ語の前置詞には格変化がある。前置詞の前にもいろいろな変化がある。さらに前置詞を使う際にも格変化が伴う、と言った方がいいだろう。

 

英語には格変化というものはない。

ex)

with my friends   友達と一緒に~

to my friends    友達に~

 

など、英語では前置詞にwithが来てもtoが来ても「my」という所有詞に変化はない。

 

しかしドイツ語は変化が多い言語であり、英語での冠詞「a」や定冠詞「the」が、後ろにつく男性名詞、女性名詞、中性名詞の1~4格に対して変化するように、英語でいう「my」という所有詞、所有格にも、格変化が起こる。

 

通常であれば格変化は後ろに続く名詞の性に縛られるが、前置詞においては、前置詞について格変化が縛られる。

 

ex)

mit meinem freund  友達と一緒に~

aus meinen freund  友達のところに~

 

mitは英語でいうとwithである。mitは3格支配の前置詞である。そのために、所有格mein(英語でのmy)は、3格の形に変化する。

ausは英語でいうところの「to」の一部分である。ausは4格支配の前置詞であるので、所有格meinもmeinenと変化するということである。

 

このように英語では前置詞+所有格+名詞という形も、ドイツ語では同じ語順なものの、間の所有格に格変化が起こる。それは前置詞に支配され、どの前置詞が何格支配なのかを覚えることが必要である。

 

また、前置詞によっては、3・4格支配のものもある。その場合、3格と4格どちらを使ってもいい、ということではなく、3格と4格で別々の使い方がある。ニュアンスが異なってくる。

 

終わり。

名文

 

「大抵の人は、事実大多数の人は、境遇のために余儀なくされた人生を送る。自分が四角い穴の仕込まれた丸い釘だと思って、不満を抱き、事情が違っていたら、もっと成功できたものをと考える人も居ないではないが、大多数は自分の運命を、明るくとまではいかないが、まあ仕方ないと受け入れている。こういう人は、いつまでもいつまでも同じ線路を往復する路面電車に似ている。往っては帰り、帰っては往くを繰り返すしかなく、その挙句、動かなくなれば、屑鉄として売られるだけである。それとは逆に、自分の人生行路を大胆にも自分の手で定めた人は滅多にいない。もしそのような人が見つかれば、よく観察してみるだけの価値がある。」 モームロータス・イーター』