映画『AKIRA』感想

この年末年始に色々映画を観ましたが、そのうちの一つに、『AKIRA』があります。たまたまYouTubeで無料期間があったので、観てみました。結果からいうと、ものすごく良かったです。以下、感想を書きます。口調は変わったりしていますが、あまり気にしないでください。

 

 

 

・『AKIRA

なんていうかもうホンマに凄かった。途中でケイがいうセリフが、この物語の作者の大友さんの考え方なんだろうと思った。

以下抜粋。ケイと金田の会話。アキラに関して。



ケイ「リュウが いってたわ、
ケイ「アキラって ぜったいのエネルギー
ケイ「なんだって・・・
ケイ「にんげんってさァ、いっしょうのあいだに
ケイ「いろんなことを するでしょう。
ケイ「はっけんしたり、つくったり、
ケイ「そんなちしきとか エネルギーって、
ケイ「どこから くるのかしら?
ケイ「さるみたいなもの だったでしょう、
ケイ「にんげんって。
ケイ「そのまえは はちゅうるいや さかな、
ケイ「その もっとまえは プランクトンや
ケイ「アメーバとか・・・ そんなせいぶつの
ケイ「なかにも すごいエネルギーが あるって
ケイ「ことでしょう?!」

金田「そりゃあ いでんしのせいだな・・・」

ケイ「そのもっとまえの、 みずや くうきにも
ケイ「いでんしは あるのかしら・・・
ケイ「うちゅうのチリだって そうでしょう。
ケイ「もしあるとしたら、 どんなきおくを
ケイ「ひめているのかしら。 うちゅうの
ケイ「はじまりの、 そのもっとまえの・・・
ケイ「だれでも そんなきおくを もっているの
ケイ「かもしれないわね・・・
ケイ「もし なにかのまちがいで じゅんばんが
ケイ「くるって、 そんなアメーバみたいな
ケイ「ものが にんげんみたいな ちからを
ケイ「もつことに なったら・・・」

金田「それが アキラってわけか?」

ケイ「アメーバは いえやはしを つくっては
ケイ「くれないわ・・・ じぶんのまわりの
ケイ「エサを くいつくすだけ・・・」

金田「テツオのことか? そんなエネルギーを
金田「もったってのか?!」

――

そして、最後のほうにナンバーズの子供たちが言う。

――

タカシ「テツオくんには むりだったのさ・・・
タカシ「もちろん ぼくらにも・・・
タカシ「アキラくんにも・・・」

マサル「いまの ぼくたちには おおきすぎたんだ。」

キヨコ「でも いつかは わたしたちにも・・・」

マサル「もう はじまっているからね・・・」


――

何が「無理だった」のかはわからないが、おそらく新人類(ガンダムでいうところのニュータイプ)であるところ(しかしナンバーズは実験体として開発されているため、人工的ではあるが)のナンバーズの子供たちは、自分たちを含めて、AKIRAや鉄雄が「人間のような力を持ったアメーバ」のような存在だと自覚しているのだろう。だからこそ、「いまの ぼくたちには おおきすぎたんだ。」と言っている。早すぎたのだろう。しかしタカシ、マサル、キヨコ、AKIRA、鉄雄のように、現に人類にとっての「次の進化」は、「もう はじまっている」のである。(自分たちの存在がその証拠である)そして、生物の進化は避けられないことだということも、分かっているのだろう。人工的であったとしても、自分たちのようなアメーバのような存在のところに、ふと人工的に、誤って、「じゅんばんをまちがえて」、AKIRAや鉄雄といった「宇宙そのもののようなエネルギー」(それは本来私たちの中に存在しているものでもある)を持った存在が現れたとき、私たちはその力を使うことができるのか。しかし、キヨコが作中で言う、嫌であれなんであれ、力を持ったしまった者には「そのちからのつかいかたを せんたくしなければならない」。おそらく、鉄雄は膨大な力の選択を間違ってしまったのだろう。アメーバが人間の力を手に入れたとき、周りのエサを食いつくしてしまうだけのように――。我々人類には、まだその力は「早すぎた」のかもしれない。しかし、「「でも いつかは わたしたちにも・・・」」その力を使いこなせる日が来るかもしれない。エサを食い荒らすだけでなく、人類の争いの種となるわけではなく、その宇宙のエネルギーを、使いこなせる日が来るかもしれない…。そんな感じを受け取った。そして、もしAKIRAや鉄雄が宇宙そのものを凝縮したような、原始的、あるいは超未来的な存在であるのであれば、それは我々の中に眠っている力である。そんなような、二重の祈りのようなものを感じた。

アキラはナンバーズの中でも特に優秀だったに違いない。アキラも元はキヨコやタカシたちと同じく普通の子供であったとするならば、自分という存在の中にあるエネルギーを覚醒せられたとき、アキラは自ら「後世に自分と同じような存在が現れたときに、その存在が自分と同じような力を目覚めさせてしまったとき、その誤った選択をした力を封じ込めるために」冷凍催眠するという、自分の力の偉大さと危険さを自覚し、冷凍催眠するという「選択」をしたのかもしれないと思いました。実際、キヨコから「鉄雄くんをAKIRA君のところに行かせてはならない」と、視聴者に「AKIRA=破滅の者」という印象を与えながらも、実際の邂逅時には、キヨコも、タカシも、マサルも、懐かしそうな目で、アキラを慕っている眼差しをしています。これは過去にアキラが自分の力に対して、「そういう選択」をしたことを知っているからではないかと思いました。だからこそ、鉄雄という2人目(いわばAKIRAというバックアップがある状態)の力を持った者に対して「期待」もあったんじゃないかなと思いました。

そのキヨコや、マサルや、タカシが、アキラと一緒に施設の中で自分たちの中にある力(超能力的なもの)を大人たちに目覚めさせられるところとか、先述のアキラとの邂逅シーンは非常に良かった。幼児の頃を思い出すような神秘性と、邂逅シーンには神々しさがありました。非常にいい作品でした。

ボリュームがあったので、結構濃密な時間でした。

 

 

終わり。